祝 第5回 読売育英奨学生OB会「きずな」総会

  (西部本社の奨学会OB会)

 

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記念講演

  日本テレビの「ズームイン!!SUPER」でおなじみの

   政治ジャーナリスト読売新聞論説委員橋本五郎氏の特別記念講演。

 

 私は3年8ヶ月前に胃癌を宣告された。

54歳になる前に胃の全摘手術を受けた。

5年後の生存率が70%〜50%とのこと。眠れない日が続いた。

しかし、妻や娘にきりっとした姿を見せなきゃと思った。

 身辺のことを考え遺書を5通、書いた。

妻には秘密口座の暗証番号。テレビ局には・・・。

遺書は夜書くと怖い。自分の死を想定しているから。そこで日中書いた。

書き終わってほっとした。肩の荷がおりたようだった。

 手術後、目を覚ましたきっかけが、看病してくれていた娘の「おとうさん、(今日は)帰るよ」

と、いう言葉だった。さすが親子だな。

 50日入院、退院の際に、先生から「これからの人生、焦らないこと。」と言われた。

そして、1年過ぎたら修了証書をくれると。

2年過ぎ、3年過ぎと毎年5年。あと2回もらわなければ安心できない。

 

 病気のおかげで家族が大事にしてくれるようになった。

 ズームインスーパーの視聴者からも激励してもらった。

自宅に野菜を届けてくれた方もいた。どうして住所がわかったか不思議だったが、

八王子に住んでいるらしいとあたりをつけ、YCに聞いて廻ったらしい。

 「娘と自殺しようと思っていたが、あなたの話を聞いて止めました」という方がいた。

何気なく話したことが切実に思っている人に響いたのを知った。

 テレビでの朝のおはようございますの挨拶を、カメラを見てするようプロデューサーに言われた。

しかし、挨拶は挨拶してくれた人に目を見てするようにと育てられた、といって断った。

秋田で「あなたの”おはよう”を聞いて、おはようと返事して、そこから一日が始まるのよ」

というおばあちゃんの話を聞いて、ハッとした。カメラの先の人に挨拶をするようになった。

紙面の先の読者を意識して書くようになった。

 小学2年の娘さんにお守りをいただいた。キティちゃんの絵が入ったお守り。

「橋本さんがいつまで元気で」と書いてます。大事にしてます。

 

 森さんから小泉さんに代わったのが4月、その時、政治部長をしていた。

その前、入院中に森さんから花をいただいた。

入院してすぐでは印象に残らなかったかもしれないけど、他の方からの花がちょうど無くなるころだったのでうれしかった。

2割がチューリップで8割が百合。

一日目に一列目、二日目に二列目、三日目に三列目が咲くというもの。

森さん自身が花屋さんに指示したとのこと。あの方は徹底的に一生懸命やる方だ。

お礼の電話を差し上げたら 「医者に任せ大事にするように」 と言われた。とても勇気付けられた。

退院に際して、長文のお手紙をいただいた。これからが大変だ、お大事にと。

 そんなさなか、新聞の記事に「株価が13,000円を割った。森さんは辞めるべきだ。」と書いた。

妻からはお世話になっておきながらなんということを、と、怒られ、せめてもと、新聞が届く前にと電話をした。

しかし、つながらない。後でわかったことだが「森辞めろコール」でつながらなかったらしい。

お手紙で「お世話になったが意を汲んで欲しい」と書いた。

その後、よく言われる。「株価は今いくらだ。小泉に何で辞めろと言わない」と。

 森さんが前立腺癌で入院したとき花を贈った。

受け取らなかった。自宅にも送ったがやはり受け取らなかった。

すると手術の翌日に手紙をいただいた。「申し訳ない。皆さんに断っている」と。

「中央公論の小泉さんへの論評を見た。これからも厳しく頼む」とも。

森さんは報われない愛を小泉さんに捧げている。しかし、小泉さんは感謝していない。

 

 素直な自分の気持ちを書こうと思う。

周りのことや反応を考えないようにしようと。

できるだけわかりやすく。テレビの前に、生きていれば91歳になるお袋がいることをイメージして。

 

 お袋のことはありありと覚えている。

秋田のお袋が10年前脳梗塞で倒れた。

消防隊の方から申し訳ないとお詫びをされた。

消防隊の方はお袋からくれぐれもと言われていたらしい。

「いつか救急車のお世話になると思う。その時は近くの病院でなく(遠くの)秋田市内の病院に運んでくれ」と。

住んでいるところは過疎地で老人が多い。

他の年寄りに見舞いにこさせたら申し訳ない。

しかし、倒れてから10時間過ぎており、近くの病院に担ぐしかなかったらしい。

 お袋は平日には死ねない、とも言っていた。

初七日はじめ法事のたびに仕事を犠牲にさせられないと。

火曜に倒れて、亡くなったのは日曜だった。

「お袋、よくやった。自分の言ったことを実行したんだね」

自宅には、いつ病院に運ばれてもいいようにと身の周りのものを風呂敷に包んでおいてあった。

遺書には「悔いない。幸せだった」と。

 1年後の香典返しに、「お袋を偲んだ座談会」を贈った。

お袋は自分のことでなく、他人のことを考えて生きてきた。

秋田の福祉の進んでいるところで死後1週間の年寄りが発見されたのをみて、

「福祉は建物を建てることか。老人のことを考えるのが福祉だ。

雪が多いとき、年よりは雪に入って死にたいと思う。死んでなんになると叱って自分も生きようと思った。

福祉は建物ではない、心だ。」 実感を持って感じる。

 

 小泉の構造改革は採算ばかり言っている。

もっと地方を廻るべきだ。

やむなく一人暮らしをしている人に、採算の取れるところに住みなさいということか。

不満を感じている、痛みを感じている、それを考えるべきと思う。

新聞配達の人が声をかけるとかいろんなところでカバーできることがあると思う。

 

多くの人にわかりやすく、どう伝えればいいか、考えている。