06年年次総会
セミナー (45分) 中越地震からの復興(今そこにある危機)

明治大学情報コミュニケーション学部長中村さん(3)
新長岡市歌作詞者小林さん(3)、
現地で復興に尽力された小出の佐藤さん(13)
(左から)
その時あなたは?
小林
私は人生で4回の大きな地震を経験。
昭和39年の新潟地震。勤務している北越製紙は壊滅的なダメージを受けた。
二回目は神戸の震災。そのときは大阪にいた。
三回目は中越地震。
そして四回目は北越製紙が受けた王子製紙からのTOB。
中越地震の時はスポーツ大会の引率で新潟市にいた。
新潟駅に行ったが新幹線が転覆したというニュースぐらいでなかなか情報が入らず
携帯電話の限界も感じた。3時間待って、市内に宿を取り、
選手たちには翌日には会津経由で東京に帰ってもらった。
長岡の家に電話がつながり家族の無事が確認できたのは翌朝。
「ダリコッパイ」散らかっている家に帰り、ロウソクの灯りで1日片付けただけで、
会津・郡山経由で東京に帰った。震度5、6の余震が続いていたけど仕事を優先した。
佐藤
業者のイベントで乾杯しているときだった。料理が天井まで上がった。
パーティーはすぐ終わった。夜空がきれいだった。
家内は3階で腰を抜かしていた。娘は学校から帰っていない。
仕事の関連で、消防団・水道(ライフライン)で出動要請が来ていた。
燃料漏れで壊れている自家発電を修理して
閉鎖されたガソリンスタンドで緊急自動車用にガソリンを入れた。
手動で入れるので1台15分から20分は掛かる。
中村
私は東京にいた。東京も揺れたが30分後に地元だと知らされた。
なかなか携帯電話に繋がらない。瞬間的に娘に携帯が繋がり無事を知り安心した。
復興
小林
昭和39年の地震の教訓で会社では毎年1回避難訓練をしていた。
1週間前長岡でも行っていた。
そのおかげで1時間以内に5ヶ所に対策本部を設置できた。
普段営業・デリバリー用に使っている2本の専用回線も生きていた。
400人の安否確認、一人もけが人が出ていなかった。
建物の倒壊はなかったが製紙会社には大敵の水が入ってきてしった。
日ごろの訓練が大事。
今も復旧を行っているが、これをバネに飛躍しようと、新工場を作っている。
佐藤
堀の内地区・小出地区は都市ガスが整備されている。
一度止めてしまうと全世帯のチェックをしてからになるので復旧に時間が掛かる。
そのためガスを止めないで出し続けた。
隣町は遮断弁が働いて止まった。そこからガスをもらった。
復旧は時間との勝負。電気は復旧が早かった。
中村
2日後に東京から自宅に行こうとしたら「来るな」と。
8年前に新築したので「丈夫な家をありがとう」と言われた。
教訓
佐藤
やっていないことはできない。やって当たり前のこと、防災訓練に参加を。
自分の命を守るのは何か。生命保険は役に立たない(命を守らない)。
その1/10でも1/100でもいいから投資してください。
非常用品、丈夫な家、家族と隣近所との付き合いに。
小林
やっていないことはできない。
家庭や会社での避難訓練が大事です。チンたらでもいいから続けること。
長岡市では100年記念で新市歌を制作、私の詩が採用された。
元気を出そう、私の原点である18才の時に読奨として上京した時の田舎の原風景、
震災からの復興を描いた。
入谷のお店にいた時、田舎に行く列車のアナウンスが聞こえてきた。
守門山など思い浮かべていた。
長岡は2回焼けているが、元気に笑顔いきいきという思いを込めて。
中村
お二人のお話は私の教訓にもなりました。
ありがとうございます。